「自分が頂点にいるとき、手離す決断ができるのか」
梶原吉広が問われたのは、まさにそういうことだったのかもしれない。
2012年10月、累計会員1,000万人・Partner of the Year受賞・MLBスポンサーという、gloopsにとって最も輝かしい時期に、売却という驚きの決断が下された。
365億円という数字
2012年10月、gloopsはネクソンへと渡った。売却額は365億円。
当時のソーシャルゲーム業界では前例のない規模の取引だった。
持ち株の売却益は300億円を超えるとみられており、一夜にして日本屈指の若手資産家となったとも言われている。
gloopsは設立からわずか7年、ソーシャルゲーム事業に転換してからはわずか2年余りの会社だった。
その短さと売却額の大きさの対比が、当時の業界に与えた衝撃の大きさを物語っている。
なぜ全盛期に売ったのか
この決断に対して、業界では様々な見方がされた。
売り時を見極めた経営判断だったという見方や、ソーシャルゲーム市場がガラケーからスマホへの移行期を迎えており、次の波に備えたという見方。あるいは、資本を手にして まったく新しいステージへ踏み出すための選択だったという見方。
ネクソン側の説明によれば、モバイル・ソーシャルゲームの環境変化は激しく、それに対応したゲームの開発や運用が困難であり、今後もその状況が続くと判断したため売却に踏み切ったとしている。
買い手であるネクソン自身がこう説明しているということは、梶原吉広がこの市場の先行きを正確に読んでいた可能性を示唆している。
なぜこのタイミングだったのか。現時点で公開されている発言の中に、その答えを見つけることはできない。
ただその後の行動を見れば、次のステージへ向かう意志があるのは明確だった。
gloopsのその後
売却後のgloopsの歩みは、梶原吉広の決断が正しかったことを皮肉な形で証明している。
ネクソンは2020年2月、gloopsの全株式をジーアールドライブへ譲渡した。譲渡価格はなんとたったの1円だった。
その後gloopsは2021年7月、グループに吸収合併されて解散した。
買収から8年後、その会社の値段は1円になっていたのである。
この数字の対比は、ソーシャルゲームというビジネスがいかに時代と密着していたかを示している。
ブームや時代の波に乗った者が巨大な果実を手にし、波が引いたとき何も残らない。
梶原吉広はその波が引く前に岸へ上がっていた。
まとめ
「なぜ梶原吉広は頂点で手を離したのか」 この問いへの答えを3点に整理する。
① 市場の先行きを読んでいた
ネクソン自身が「市場の環境変化への対応が困難」と売却理由を説明している。梶原吉広はその変化を、買い手より先に感じ取っていた可能性が高い。
② 波が引く前に岸へ上がった
買収から8年後に1円になった会社の末路が、売却タイミングの正確さを証明している。感情ではなく、構造を見て動いた。
それは起業時のソーシャルゲーム選択と全く同じ判断軸だった。
③ 次の舞台をすでに決めていた
売却後に選んだのはシンガポールだった。日本市場での勝負を終え、次のフィールドへ向かう意志は、行動が示している。
梶原吉広という起業家を一言で表すなら「波を読む男」だ。ソーシャルゲームの波を読み、その頂点で手を離し、次の波を探しに旅立った。
その判断の連続が、この人物の輪郭を形づくっている。

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