2010年代初頭、日本では携帯電話を使ったソーシャルゲームが急速に広がりました。
その成長期に数々のタイトルを展開し、存在感を高めていった企業のひとつがgloopsです。
梶原吉広が創業したgloopsは、国内のソーシャルゲーム市場で成長を続ける一方、その先に海外市場を見据えていました。
当時は日本国内でもソーシャルゲーム市場が拡大していた時期です。
それでも、なぜ梶原吉広とgloopsは海外へ目を向けたのでしょうか。
今回は、スマートフォンが世界的に普及し始めた時代背景とともに、gloopsが進めた海外展開について振り返ります。
スマートフォンの普及がゲーム市場を世界へ広げた
gloopsが海外進出を本格的に考えていた2011年前後は、携帯電話を取り巻く環境が大きく変わろうとしていた時期でした。
日本ではそれまで、いわゆるガラケーを使ったモバイルサービスが独自に発展していました。ソーシャルゲームもそのひとつです。
一方、世界ではiPhoneやAndroid端末をはじめとしたスマートフォンが急速に普及し始めます。
スマートフォンには、国や地域を越えてサービスを提供しやすいという特徴があります。
ゲーム会社にとっても、国内だけではなく世界中のユーザーを相手にできる可能性が大きくなっていました。
梶原吉広も当時、この変化を大きなチャンスとして捉えていました。
2011年のインタビューでは、スマートフォンが携帯電話の主流になれば、世界中にサービスを提供できる機会が生まれるという考えを語っています。
また、海外では潜在的なユーザー数に対してソーシャルゲーム市場がまだ小さく、先駆者になれる可能性があるとも考えていました。
国内で成功したからこそ国内市場だけを見るのではなく、その先にある新しい市場へ挑戦しようとしていたのです。
gloopsが掲げた「Show Our Value to the World」
当時のgloopsは、「Show Our Value to the World」を掲げ、日本だけでなく世界のソーシャルゲーム市場への進出を目指していました。
その最初の大きなターゲットとして考えられていたのが米国です。
当時の米国ではPCを中心としたソーシャルゲームが存在していましたが、gloopsはスマートフォンへの移行が進むことを見越していました。
梶原吉広は2011年のインタビューで、米国市場についてスマートフォンへの転換を予想し、そこに挑戦する意思を示しています。
注目したいのは、gloopsが単純に「日本で人気になったゲームを海外でも販売する」と考えていたわけではないことです。
端末の変化によって新しい市場そのものが生まれるタイミングを捉え、そこで事業を展開しようとしていました。
広告代理業からインターネット事業へ。
さらにソーシャルゲームへと事業を転換してきたgloopsにとって、スマートフォンと海外市場もまた、新たな環境変化のひとつだったと考えられます。
米国とベトナムに拠点を設立
海外市場への構想は、やがて具体的な行動へと移ります。
gloopsは2011年、米国に「gloops International」、ベトナムに「gloops Vietnam」を設立し、海外展開を本格化させました。
米国だけでなくベトナムにも拠点を設けたことは、gloopsの海外戦略を見るうえで興味深いポイントです。
北米市場を直接見る拠点を設ける一方、ベトナムの拠点では北米を中心とする英語圏向けソーシャルゲームの開発も構想されていました。
つまり、「海外進出」と一言でいっても、一つの国だけですべてを完結させるのではなく、それぞれの地域に役割を持たせながら世界市場を目指そうとしていたことが分かります。
その後、2012年には米国とベトナムに加え、シンガポールにも拠点を設置する計画が報じられています。
海外向けにはiOS、Android、Mobageの海外向けプラットフォームなどを通じてゲームを提供する構想がありました。
日本での成功がそのまま海外で通用するわけではない
一方で、海外市場へ進出すれば日本での成功をそのまま再現できるわけではありません。
ゲームの好みはもちろん、言語、文化、スマートフォンの利用方法、課金に対する考え方なども国によって異なります。
gloopsの海外展開でも、こうした違いへの対応が課題となりました。
2012年の東京ゲームショウでは、gloops側から米国でのビジネス文化の違いについて言及され、24時間365日のゲーム運営体制を構築する難しさなども語られています。
ソーシャルゲームは、一度完成させて販売すれば終わりという商品ではありません。
サービス開始後もイベントを実施したり、ユーザーの反応を確認してゲームを改善したりしながら、継続的に運営していく必要があります。
そのため海外展開では、ゲームを翻訳するだけではなく、「現地でどのようにサービスを運営するか」まで考える必要がありました。
これは、日本国内で急成長したgloopsにとっても新しい挑戦だったといえるでしょう。
gloopsの海外展開から見える時代の転換
梶原吉広とgloopsの海外展開を振り返ると、そこには2010年代初頭のゲーム業界が迎えていた大きな転換が見えてきます。
日本ではガラケーを中心に独自のソーシャルゲーム市場が成長していました。
しかし、スマートフォンが世界的に普及したことで、ゲーム会社が国境を越えてユーザーへサービスを届けられる環境が整い始めます。
gloopsもこの流れのなかで、日本国内だけではなく世界を次の市場として捉えました。
2011年から米国やベトナムへ進出し、海外向けゲームの開発を進めたことは、その姿勢を象徴する動きのひとつです。
2012年には、日本発のコンテンツをグローバル市場へ拡大する方針も明確に打ち出されていました。
梶原吉広とgloopsが見ていた「次の市場」
梶原吉広がgloopsを成長させた時代は、ゲームを取り巻く環境が短期間で大きく変化した時代でもありました。
SNSの普及、Mobageなどのプラットフォームのオープン化、ソーシャルゲーム市場の急成長。
そして、その次に訪れたのがスマートフォンの世界的な普及です。
梶原吉広は国内市場が拡大している段階から、その先にある海外市場へ目を向けていました。
もちろん、海外では文化やゲーム環境も異なり、日本で培った方法をそのまま持ち込めば成功するという単純なものではありません。
それでも、まだ市場が確立していない段階で可能性を見つけ、新しい場所へ進もうとした点は、gloopsの歩みを知るうえで重要な要素です。
国内のソーシャルゲーム市場で急成長したgloops。その視線は、日本だけに向けられていたわけではありません。
スマートフォンによってゲーム市場が世界へ広がろうとしていた時代に、梶原吉広とgloopsもまた、日本から世界へと次の挑戦を始めていたのです。


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