新しいサービスが登場し、ユーザーが集まり、次のトレンドが生まれる。
2010年代前半のソーシャルゲーム市場では、短い期間の中で次々と状況が変化していました。
その中で存在感を高めた企業の一つが、梶原吉広が創業したgloopsです。
gloopsという会社を振り返る際には、売上や社員数、ヒットタイトルなど目に見える成長に注目しがちです。
しかし、もう一つ見逃せないのが、変化の激しい市場に対応し続けなければならなかったことです。
今回は「会社がどれだけ大きくなったか」ではなく、「なぜソーシャルゲーム企業にスピードが求められたのか」という視点から、梶原吉広とgloopsが活躍した時代を見ていきます。
次々に変わったゲームを取り巻く環境
ソーシャルゲームが広がった時期は、ゲームだけが変化していたわけではありません。
携帯電話からスマートフォンへの移行が進み、インターネットの利用方法も大きく変わっていました。
端末が変われば、画面の大きさや操作方法も変わります。
通信環境やユーザーが求める表現も変化します。
企業側には、一度作ったゲームを長期間そのまま提供するのではなく、新しい環境を見ながら開発や運営方法を調整していくことが求められました。
当時のソーシャルゲーム企業にとって、「今うまくいっているもの」を守るだけでは十分ではなかったのです。
ヒットした後にも競争は続く
ゲームがヒットすれば、それで競争が終わるわけではありません。
人気が集まれば、ほかの企業も新しいタイトルを投入します。
ユーザーにとって選択肢が増えれば、一つのゲームを選び続けてもらう難易度も高まります。
そのため、ゲームを提供する側には、新作を開発する力だけでなく、すでに提供しているタイトルを継続的に動かす力も必要になりました。
gloopsはMobage上で複数のソーシャルゲームを開発・運営し、バトル系やスポーツ系などのシリーズを展開していきました。
一作品だけに依存するのではなく、複数のタイトルを市場へ送り出すという動きからも、当時の競争の速さを見ることができます。
プラットフォームとの連携も重要だった
当時のソーシャルゲーム市場では、ゲーム会社だけですべてが完結していたわけではありません。
多くのユーザーが集まるプラットフォームの存在も重要でした。
gloopsはMobageでタイトルを提供し、2011年にはDeNAとの戦略的提携にも進んでいます。
ゲームを開発するgloopsと、多数のユーザーを抱えるMobage。
それぞれの強みを生かすことで、タイトルをより多くのユーザーへ届けることが可能になります。
ソーシャルゲーム市場の成長期には、「良いゲームを作る」という開発力だけでなく、「どこで、どのように届けるか」という判断も企業の成長を左右する要素でした。
国内だけを見ていればよい市場でもなかった
市場の変化は日本国内だけではありませんでした。
スマートフォンの普及を背景に、モバイルゲームそのものが世界へ広がっていきます。
gloopsとDeNAも国内での提携にとどまらず、その後は海外のMobageネットワークへソーシャルゲームを提供する動きを進めました。
北米や欧州などを対象とした展開が計画されていたことからも、当時のゲーム企業が国内市場だけを見ていたわけではないことが分かります。
日本で作った仕組みや経験を、別の市場でどう生かすのか。
国内で結果を出した企業にとって、その先を考えることも必要になっていました。
梶原吉広とgloopsを「速さ」から見る
梶原吉広とgloopsの歴史には、短期間での事業拡大を象徴するエピソードが多くあります。
ただし、単純に「成長が速かった会社」と見るだけでは、当時の状況を十分に捉えられません。
周囲の市場そのものが猛烈な勢いで変化していたからです。
ユーザーが使う端末が変わる。
新しいタイトルが登場する。
プラットフォームが拡大する。
海外市場への道も開かれる。
このような環境では、判断が遅れること自体が競争上のリスクになります。
新しい変化を見つけたとき、どのタイミングで動くのか。
伸びているサービスへ、どの程度の人や資金を投入するのか。
ゲームそのものだけでなく、企業経営にもスピードが必要だった時代です。
gloopsがソーシャルゲーム市場で存在感を高められた背景を考えるとき、この「市場と同じ速度で会社も変わる必要があった」という点は重要でしょう。
梶原吉広がgloopsを率いた時代は、日本のゲーム産業にとって大きな転換期でした。
現在のスマートフォンゲーム市場から振り返ると当然に見える仕組みも、当時は次々と登場する新しい選択肢でした。
その変化の真ん中で、企業は何を選び、どれだけ早く動けるのか。
gloopsの歩みには、ソーシャルゲーム黎明期ならではのスピード感が映し出されています。

